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福岡地方裁判所小倉支部 昭和48年(ワ)1011号 判決

原告

鍵山サツエ

右訴訟代理人

榎本勲

被告

一番ケ瀬能久

右訴訟代理人

湯川久子

主文

被告は原告に対し別紙目録(二)記載の家屋を収去して、同目録(一)記載の土地を明渡し、かつ昭和四八年一二月一〇日以降明渡済みに至るまで一カ月金四〇〇円の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その四を被告の、その一を原告の負担とする。

事実

第一  申立

一、原告

(一)  被告は原告に対し別紙目録(二)記載の家屋を収去して同目録(一)記載の土地を明渡し、かつ、昭和四八年一二月一〇日以降明渡済みに至るまで一カ月金一万四五二〇円の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

二、被告

(一)  原告の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決並びに仮執行の免脱宣言

第二  主張

一、請求原因

(一)  原告の亡父斎藤市三は、その所有する別紙目録(一)記載の土地(以下本件土地という。)を昭和三三年四月頃被告に、賃料一カ月金四〇〇円、期間の定めなく、建物所有の目的で賃貸し、被告はその頃右土地上に別紙目録(二)記載の家屋(以下本件建物という。)を建築した。

(二)  斎藤市三は昭和四一年一二月二三日死亡したが、同年同月五日頃、かねてから本件土地の入手を望んでいた被告は、市三が重篤な病状のため、その意識もいわゆる朦朧状態にあつたところを、その了解を得ようともせずに同人の印鑑を持出し、これを妻チヨメに交付し、登記手続に必要な書類を整えさせたうえ、昭和四一年一二月六日市三より自己宛の売買を原因として所有権移転登記手続をなした。

(三)  市三の相続人である原告らは、右登記の抹消登記手続を求めるため、訴えを提起した結果(当庁昭和四四年(ワ)第二七八号事件)、原告ら勝訴の判決があり、右判決は昭和四八年九月二八日確定定した。そして同年一〇月一八日右確定判決により右登記が抹消された。しかして原告は昭和四八年一一月二六日本件土地につき相続を原因とする所有権移転登記手続を受け、市三の本件土地に関する権利義務を承継した。

(四)  しかして被告のなした前記行為は、本件土地に関する賃貸借の信頼関係を破壊する不法行為であるから、原告は昭和四八年一二月八日被告に対し右を理由として本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなし、右意思表示は同月九日被告に到達した。

(五)  本件土地の賃料相当額は一カ月一坪あたり四〇〇円である。

(六)  よつて、原告は被告に対し本件建物の収去及び本件土地の明渡を求めるとともに、昭和四八年一二月一〇日以降右土地明渡済みに至るまで一カ月金一万四五二〇円の割合による賃料相当損害金の支払を求める。〈以下、省略〉

理由

一被告が原告の亡父斎藤市三からその所有する本件土地を昭和三三年四月頃から、建物所有の目的で、賃料一カ月金四〇〇円、期間の定めなく賃貸し、右土地上に本件建物を建築したこと、市三が昭和四一年一二月二三日死亡したこと、及び原告が相続により本件土地を取得し、本件土地に関する権利義務を承継したことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、原告は昭和四八年一二月八日、同月九日被告に到達の内容証明郵便で、被告が市三に無断で本件土地につき自己宛に所有権移転登記手続をなしたとして、これを理由に原、被告間の賃貸借契約を解除する旨の意思表示を被告になしたことが認められる。

二そこで、右解除の効力につき判断する。

(一)  〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

1  原告は市三の子であり、被告は市三の子である一番ケ瀬トリヨの次男である。

2  本件土地は、もと北九州市八幡区帆柱町一五番三の一筆の土地の一部であり、これを昭和三二年頃被告の父一番ケ瀬実次が市三から賃借したものであるが、昭和三三年頃被告が本件土地上に本件建物を建築するに及んで、被告が市三の承諾の下に右賃貸借を引き継いだものである。

しかして右一五番三の土地の一部、即ち本件土地の隣接地に市三がその家族とともに居住していた。

3  ところで昭和三九年四月二七日、右一五番三の土地は本件土地、一五番三(市三居住地)及び一五番七の三筆の土地に分筆され、同月三〇日右三筆の土地のうち一五番七の土地を原告の夫鍵山継太が市三から買受け、その所有権を取得した。そして同人は一五番七の土地上に居宅を建築すべく、昭和四一年八月頃それに着工し、同年一二月一〇日頃完成して入居したが、その北側の一部約2.178平方米(約0.66坪)が隣接地である本件土地上にはみ出して石垣が築かれたため、鍵山継太と被告間に右部分の利用につき争いが生じ、継太及びその妻である原告は当初右部分の土地を市三から賃借した旨の主張を、その後に至り同年一一月二五日頃市三から買い受けた、むしろ被告の方こそ軒先が自己の土地上にかかつているのでその部分を除去せよとの主張をなすに至つた。

4  しかして、継太から右の如き要求を受けた被告は、紛争を継続することにわずらわしさを覚え、いつそのこと本件土地を市三から買い受けてその所有権を取得すれば、継太との間の紛争も一挙に解決できるものと考え、同年一二月四日頃、たまたま市三の内縁の妻山根トラからこたつの修理を依頼されていたので、市三宅に赴き、こたつの修理を終えて、帰宅する際、トラに本件土地の売却方を市三に相談してほしい旨の依頼をなした。

5  ところで、市三は明治一八年七月二日生れで、当時かなりの高齢に達していたうえ、昭和三九年頃から頭痛、めまい等の脳動脈硬化症及び本態性高血圧の症状を呈し、昭和四〇年三月七日には気管支炎を併発するなど、軽快することなく経過していたが、昭和四一年一一月九日再び気管支炎を併発し、三七、八度の発熱を見て以来、衰弱が一段と激しくなつて寝込むようになり、聴力も一層衰え、ほとんど話もしないようになつた。しかして発熱状態は同年一二月一〇日前後まで続き、発熱時の市三の意識は朦朧状態であつたと考えられ、時々わけのわからないことを口走つていた(市三はその後病状の好転を見ないまゝ同月二三日老衰により死亡した。)。

6  しかして被告から前記のとおり依頼を受けた山根トラは、直ちに市三にこれを告げたが、同人は「ふんふん」と答えるのみで、トラの話の内容を理解していなかつた様子だつたので、後刻再び市三宅を尋ねて来た被告に、その旨を告げたところ、被告は直接市三に会つて確めることもせずに、「ふんふんと言つているのなら本当なのだろう。」といいながら、暗にトラに対し、市三が死亡したら金がないと心細いだろうなどと、本件土地の売買をするようにおわせたうえ、その頃妻チョメを介し、トラに二〇万円の現金を渡した。その後一、二日してチヨメから市三の印鑑を持参するよう要求されたトラは、市三に無断で印鑑を持ち出し、これをチヨメに手交したうえ、同女と市役所及び司法書士のところに同道した。そしてチヨメにおいて登記に必要な書類の作成を司法書士に依頼した結果、同年一二月六日本件土地につき売買を原因とする市三から被告への所有権移転登記がなされた。

7  ところで、後日このことが原告らに発覚することとなり、被告は、昭和四四年、市三の相談人である原告らから右所有権移転登記の抹消登記手続を求める訴えを提起され(当庁昭和四四年(ワ)第二七八号事件)、同訴訟において一、二審ともに敗訴の判決を受け、右判決は昭和四八年二八日確定した。その後右確定判決に基づき同年一〇月一八日右登記が抹消された(但し、訴訟及び登記の抹消に関する事実は当事者間に争いがない。)。

右認定の事実によれば、本件土地の売買契約は、売主たる市三の意思に基づかずしてなされたものというほかなく、しかして被告はその事情を十分知悉していたものというべきである。もつとも〈証拠〉中には、本件土地の市三から被告への売買契約は直接市三との間で有効に成立した趣旨の記載が存するが、右記載は右認定にかかる当時の市三の病状から直ちに措信しがたく、又、本件土地の売渡証である乙第八号証の二及び本件土地売買代金の領収書である同号証の四は、その成立の真正を認めるに足る証拠はないのみか、かえつて右認定の事実によれば成立の真正が否定されかねず、乙第八号証の五の記載も、当時の市三の病状及びトラが本件土地の売買代金として被告らから受領した金額等前記認定の事実に照らすときは、たやすく措信し難い。

(二)  右認定の事実によれば、結局被告は、市三に無断で、市三から本件土地を買い受けたこととし、その旨の登記を経由したものというべきであるが、このような厳格な意味での賃貸借契約上の義務違反とはいい難い行為が賃貸借契約の解除原因となり得るかについては更に検討を要するところ、賃貸借契約の如き賃貸人、賃借人相互の人的信頼関係を軽視し得ない継続的契約関係にあつては、賃貸借契約から本来発生する義務の不履行のみならず、賃貸借契約に基づき当事者に信義則上要求される義務に反する行為で、賃貸借関係の継続を著しく困難ならしめるような信頼関係を破壊する行為が行なわれた場合には、その他方当事者は右行為を理由に催告を要せず直ちに賃貸借契約を解除することができるものと解するのを相当とする。

これを本件についてみれば、被告の行為は、本件賃貸借の目的土地である借地に関しなされたものであつて、賃貸人たる市三の所有権を不当に侵害する行為であるといわねばならないところ、右行為には厳格な意味での賃貸借契約上の債務不履行とは直ちにいい得ない面の存することは否定できないが、さりとてそれが賃貸借契約とは全く無関係な行為であるとは到底いい難く、むしろ、賃貸借契約と密接に関連する行為であると解さざるを得ない。そして被告が市三に無断で売買を原因とする所有権移転登記手続をなし、その旨の登記を経ていること、及び前記認定の事実によれば、右登記手続をなすためトラを介してではあるが、市三の印鑑が冒用されたであろうことが十分推認し得ることなどの事情に照せば、賃貸人たる市三にとつては、事は極めて重大であるといわざるを得ず、被告のなしたこれらの行為は、市三の被告に対する信頼を著しく破壊したものというべきであり、もはや、これ以上被告との間に賃貸借契約を継続することは困難な状態に立ち至つたものといわねばならない。もつとも前記認定の事実によれば、被告が右の如き行為に及んだ直接の契機となつたのは、本件土地と原告の夫である鍵山継太の所有地との境界付近における紛争に際して継太及び原告から当を得ない主張(継太らの主張の変遷及び同人が係争部分を市三から買い受けたとの主張については、その買い受けの時期からして、市三の当時の病状を考えれば、真実売買契約が成立したかは疑問であり、その真実性を認めるに足る証拠のないことなどの事情に鑑みれば、継太らの右主張はさ程根拠のある主張とも思えない。)をされたからであり、しかも原告が相続により市三の賃貸人たる地位を承継したことを考えると、信頼関係破壊の責を一方的に被告にのみ負わせるのは、酷に失するきらいがないではないが、右紛争は、直接には被告と継太間の紛争であり、原告は継太の妻として継太側についたという関係に過ぎず、又当時の賃貸人たる市三にとつては直接の関係はなかつたのであり、更に右紛争に関する被告の主張に対して、仮にその主張が不当であつても、正当な方法により対処すべきが本筋なのに、あえて、登記を経由してまで本件土地の所有権取得を仮装したことは、事の重大性及び登記名義を回復するまで相当長期間の時日を要したことに鑑みみ、看過し得べからざるものというべきであり、これらの事情に照らせば、被告の行為により本件賃貸借の信頼関係が著るしく破壊されたことには変わりないものといわねばならず、被告が市三と近親関係にあつた事情も又、右結論を左右しないものといわざるを得ない。

してみれば、市三の賃貸人たる地位を承継した原告は、以上みてきた被告の不信行為により、賃貸借契約の継続を望み得ない程に信頼関係が破壊されたものとして、これを理由に本件賃貸借契約を解除しうるものと解さざるを得ない。

なお、被告は同人の行為は市三との関係におけるものであつて、原告とは無関係であから、原告が右行為を理由として本件賃貸借を解除することは許されない旨主張するが、原告は相続により市三の賃貸人たる地位を承継したものであり、又、被告の行為は本件土地に関する行為であつて、市三との特別な人格的関係におけるものではないのであるから、被告の右主張は採用の限りでない。

(三)  被告は本件土地明渡が権利濫用であつて許されない旨の主張をなすが、仮に被告が主張するように、同人が本件土地を明渡すことによつて、その生活の場を失うことになつても、被告に本件賃貸借契約の解除原因が存する以上、やむを得ないものといわざるを得ず、従つて被告の右主張は理由がない。

三ところで、本件土地の賃貸借契約解除時の賃料相当額については、これを明確にし得べき証拠はないので、本件土地の従前の賃料一カ月四〇〇円をもつて、本件土地の賃料相当損害金と認めざるを得ない。

四よつて、原告の本訴請求は、被告に対し建物の収去と本件土地の明渡し、及び被告に本件賃貸借解除の意思表示が到達した日の翌日である昭和四八年一二月一〇日以降右明渡ずみに至るまで一カ月金四〇〇円の割合による損害金の支払いを求める限度でこれを認容し、その余を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を適用し、なお仮執行宣言の申立については、これを付するのを相当でないものと認め、主文のとおり判決する。

(園田秀樹)

目録(一)、(二)省略〉

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